ブラジルから近況報告

平和と善

clip_image002[4]二月になり、屋根のひさしを越えて、少しずつ北側の窓を通して午後の日差しが部屋に差し込むようになりました。太陽が南回帰線から回帰してドゥラードス市の上空を通過し、北に向かっているのです。一年に二度、十二月上旬と一月上旬に太陽が頭上を通過します。そんな時期の正午には、まっすぐ伸びたやしの木や電柱の影が地面からなくなります。赤道と南回帰線にはさまれた南国に生活していることを本当に実感する瞬間ですが、日中の気温が四十度を超えるのにはあいかわらず閉口しています。

昨日(灰の水曜日)は大斎、小斎でした。それにこの暑さ。午後四時の病人のためのミサ。午後七時と八時には二つのチャペルでのミサ。いずれも教会は三百人以上の信者で超満員。そして灰の式。七時のミサの途中では、夕方にもかかわらず日中から続く残暑と脱水症状で、失神しそうになりました。自分の年と身体の限界を感じ、それを認めなければならない時期に来ているのでしょう。それに、やはり私には零下の気温の世界が向いているようです。

ところで、昨年の暮れは四つの共同体での初聖体とそこから派生する諸問題(子供の洗礼や両親を含めての告白の秘蹟etc.)で超忙しく、クリスマスと新年の挨拶を書く余裕がありませんでした。猛暑の中での多忙は、もともと少ない私の思考能力だけではなく体力や気力さえも奪うようです。それとも私の年齢がそうさせているのかもしれません。

年が明けて、ブラジル社会全体が休暇モードに入ってからも、サンパウロの日伯司牧協会から、今年の四旬節の友愛運動の指導書を早急に部分翻訳するようにと依頼があり、やはり超多忙な新年の幕開けとなりました。そんなわけであわただしく言い訳がましい新年の挨拶となりましたが、今年も皆様のご多幸を祈るとともに、私のためにもお祈りをお願いいたします。あわせてご復活へのよい準備と意義ある復活のお祝いを迎えられますようにお祈りいたします。

2008年2月7日、ドゥラードス市にて

Frei Tito Ogawa ofm